はじめに
「昭和四十四年五月二十五日光明寺三十世 良榮謹誌」
古記の傳ふる所によれば、當山は遠く千二百有余年の昔、人皇四十五代聖武天皇の天平年中、行基菩薩、観世音の夢告を受け、この地に集まり、山上の霊光池水に映り月光の如くなるを歓び、信仰の中心として水月庵を開創す。
降って寛永元年(一六二四)鳳仙寺七世儀拈牛把禅師開山となり、大慈山光明寺と改め曹洞修業の道場となす。
爾来、法灯盛衰幾度か移るも、歴代住職の心血と、檀徒各位の協力、加うるに市勢の発展とにより、今日の興隆を見るに至れり。
ここに大本山総持寺貫主岩本勝俊禅師を拝請し、本堂庫裡等の落慶式を挙ぐるに當たり、感激描く能はず、ここに石に刻して後世に残すものなり。
「大慈山光明寺は、聖武天皇の御代の天平年中に行基菩薩が、この地に一宇を建立したのをはじめとする」と、お寺の縁起に示されています。開創以来千二百有余年、わたしたちの祖先は幾多の苦難・試練を乗り越えられて、光明寺の維持・発展と曹洞宗の布教に尽くされてこられました。
光明寺は、ご存じのとおり近隣でも屈指の風光明媚な地にあります。寺域はまさに霊地です。その霊地にあって、歴代の住職、檀信徒は常に地域社会の幸せを念じながら、釈尊の教え、道元禅師・瑩山禅師の教えを広めて参りました。
以後、法灯の盛衰は幾たびとなくあり、苦難の道は多々ありましたが、その都度、歴代住職の心血と篤心の人々の厚い信仰の心とにより、それを乗り越えて今日を迎えました。昨今は寺域もたいへんに整備されて、 名実ともに東毛の名刹としての伽藍・偉容を誇るまでになりました。
合掌
開創は天平年中に溯る
光明寺の開創は「光明寺縁起」によりますと、今を溯ること実に千二百有余年前となる天平年中となります。光明寺は、驚くほどの実に永い歴史が残されているのです。
その永い歴史を今に伝えるのは、寺に残されている、古文書・光明寺縁起で、開創期の様子が、詳しく書き記されています。
その光明寺縁起を現代風に要約(概要)してみますと、次のような内容になります。
伝えるところによりますと、聖武天皇の勅願で霊地を求めておられた行基菩薩が、ある夜、観音様からの夢のお告げを受けました。それは「渡良瀬川のほとりの吾妻山景に囲まれたところに聖地があります。そこに観音像を刻んでお祀りすれば、多くの人々を済度することができます。」と言う内容のお告げでした。
行基菩薩が、観音様のお告げによるところの土地を訪ねますと、あまりにも見事な霊地であることにたいへん喜ばれ、さっそく一宇のお堂を建てた上に、刻み上げた千手観音像を祭祀されました。お堂には、月光が輝くが如くに池に映る荘厳なまでの境内の景観を賞でて「水月庵」の名を付け、永く桐生の護りを誓願されました。時に天平年中のことでした。
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